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名医と迷ランナー第3話

更新日:2015年6月9日

自己紹介1

5月下旬から30度という真夏の気温が続いていますが、前回の「暑さ対策」はお役に立っているでしょうか?
某マネージャーが「前回の記事で100円を持って走るって、良かったわ!」と言われました。
「え”~、そこ!?」と思いましたが・・・。まっ、それはそれで参考にして頂ければ、うれしいです。

走りだして○十年。
学生の時から走っていましたが、本格的に「マラソン」に取り組み出したのは、社会人3年目になってからです。学生の時と言えば、周りは国体選手ばかり。まともな練習もできず、駄馬の中の駄馬。学生時代の思い出にと参加した記念すべき第1回大阪女子マラソン大会(2015年は第34回大阪国際女子マラソン大会。当時は「国際」ではなかった)は、白バイに先導され収容車を従え長居陸上競技場に戻ってきました。

3時間50分、最終ランナー。

ゴールした瞬間意識が無くなり、気がついた時はベッドの上。大学の陸上部の選手としては底辺の底辺、たいした結果も残せずの4年間でした。

ただ走ることは好きで、社会人になっても昼休み一人でトコトコと走っていました。

当時、大阪女子マラソン大会に再チャレンジしたいから休みが頂きたいと言えば、上司から「大した記録もないのにダメ」と言われ、さらに自信喪失。

ところが、神はそんな私を見捨てなかった(笑)。

社会人3年目の次の職場では理解のある上司、仲間に出会うことができ、爆発!しました。

そこからは、自分自身でも不思議なくらい、走れば記録が出るといった状態でした。

若かったからでしょうか!?365日仕事と練習と試合の日々でした。

マラソンのベストも2時間46分32秒(24位)まで伸び、3年連続して大阪国際女子マラソン大会に招待して頂きました。

当時は大変バブリーな時期で、一流選手以外に関西出身の市民ランナー招待選手枠があったおかげなのですが・・・。本当にいい夢みさせてもらいました(笑)

しかし、第20回という記念すべき節目の大阪国際女子マラソン大会では、またまた白バイに先導され収容車を従えた2度目の最終ランナーに・・・。


続きは後日更新予定の”自己紹介2”で…

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